パネルディスカッション①:暮らしと生活 ―私たちにとっての日本,そして世界

唐沢:今回は「日本での暮らしと生活」というテーマでお話をお願いします。まず,皆さんの,日本社会とのなれそめについて教えてください。
下地:私の母は沖縄出身のいわゆるハーフで,祖母は沖縄人,祖父は米軍属です。父は秋田県出身の日本人なので,これまで私は自分のことを「クオーター」だと紹介してきました。ところが,最近DNA検査をしたところ,属する系統が“日本40%,沖縄40%,ヨーロッパ20%”という結果だったんです。自分としては“日本75%”と出るとばかり思っていたので驚きました。そして,日本社会では「日本人は単一人種だ」という価値意識が強いですが,日本の中の多様性のルーツの1つとして,沖縄というのはやはり特徴的なのだと思いました。なので,クオーターは自分のアイデンティティとして当てはまっていないのかなと思い,最近,自己紹介にちょっと困り始めています(笑)。
副島:僕は生まれも育ちも日本です。父親と一緒に生活をしたことはなく,日本人の母と母方の祖母と生活していたので,小さいときは普通に「自分は日本人だ」と思っていました。しかし小学校高学年のころ,周りの子から「見た目が違う」「肌の色が違う」といじめにあい,「自分は周囲の人とは違う」ということを否応なしに意識づけられました。でも,当時の僕は父のことを一切知らなかったので,「じゃあ,俺って一体何人なんだ!」と,すごく困った時期がありました。父について知ったのは30代になってからです。あるテレビ番組で父を探すという企画があり,父がアメリカ人であることを知りました。
とにかく,学生時代は自分のルーツに関し悩み,疑心暗鬼にもなりましたが,結局,日本で暮らしたことしかなく,教育を受けたのも日本なので,自分は“日本人”なんです。英語も全く喋れないですしね。ちなみに,英語が話せないことは,昔はコンプレックスでしたが,今となっては個性の1つになっています。
唐沢:私たち,つい簡単にハーフだ,クオーターだ,などと,それこそ2で割れる,4で割れる,と考えがちですが,確かにDNA検査をしてみなければわからないことですね。結局,私たちは直感だけで日本人という言葉を使っていることが,今のお話からよく分かりました。
メントライン:お二人の話と比較すると私の場合はもっと簡単,いや,逆にもっと複雑なのかな(笑)。私はドイツ出身で,日本と接点ができたのは5〜6歳のころです。当時,私は世界の子どもの暮らしに興味があり,図書館で調べていたら,ある本に80年代の日本の暮らしについてこう書いてあったんです。「朝起きると自分の布団を畳んで押し入れにしまい,夜になると,またそれを出して敷いて寝る」。それが私にはとても魅力的に映ったんです。私はいつもベッドで寝ていて,友達が遊びに来たときだけベッドからマットレスを下ろして雑魚寝をしていたので,「日本の子どもたちって,毎日お泊まり会をやっているようなものじゃん。なんか楽しそう!」と思ったんです。
そこから日本に対する興味がどんどん強くなり,日本語を勉強し,16歳で日本の高校に留学し,大学では日本学を専攻。その勢いのまま,日本に引っ越してきました。最初は仕事もなく,かなり無謀なことをしたと焦りましたが,幸い,日本語をそこそこ話せたので,日本でドイツを紹介する仕事に就くことになりました。そこで初めて,自分の出身国を客観視するようになり,暮らしや考え方,行動の動機など,日本とは何が違って何が同じなのか,考える機会が増え,気がついたら職業は「ドイツ人」となっていました。
日本で暮らし始めて約18年です。もう人生の半分弱を日本で暮らしていることになります。だから自分としては半分以上“日本人”だと思っていますが,ルーツは完全にドイツです。「じゃあ,私は何者なんだろう」と考えたら,正直,分からなくなってしまいました。思い切って日本国籍を取る選択もありますが,それも違うような気がして。自分のルーツははっきりしているのにアイデンティティがはっきりしない。それが今の私の個人的な悩みです。
さまざまなルーツを持つ人が感じる日本社会に今も残る無意識の偏見
唐沢:日本との接点を語れば,自然とアイデンティティの話になりますね。では,それぞれ具体的に,日本でお仕事をするなかで感じている日本での暮らしについて,教えてください。
メントライン:私はさまざまなワイドショー番組にコメンテーターとして出演しています。でも,ときどき,他のコメンテーターや定期的に来るゲストの人から,前に置かれた日本語の解説のボードについて「これ,本当に全部読めますか?」と聞かれます。そんなとき,私は外国人に対する理解のハードルの高さを感じます。私は確かに見た目がザ・外国人ですから,レストランに行けば必ず英語のメニューが出てきます。それはもうふつうのことなので,「日本語のメニューをください」とお願いして事なきを得ますが,そういった小さな誤解を体験するたび,相手の人が私のことを「この人は何者なのだろう」と感じていることがわかり,少し居心地の悪さを感じます。
最近では,初対面の人に「日本に骨を埋めるつもりなんですか」「祖国を捨てて日本に来たんですね」などと言われて,答えに困ったことがあります。だって私は何も捨てていないし,どこに骨を埋めるかなんて,まだ全然考えていませんから(笑)。日本に来た外国人がどんな理由で来たのか,何年暮らすのか,祖国をどうするのか。そんなことは,もう人それぞれであって,グラデーションがあるということを理解してほしいなと思います。
副島:僕もテレビでお仕事させていただいていますが,僕のプロフィールをある程度知ったうえで,「アメリカに帰りたいとは思わないの?」「ルーツを探さないの?」などと言う人はたくさんいます。正直,余計なお世話ですよね(笑)。その人も良かれと思って言っているのはわかります。でも,そういう価値観を押し付けられがちなところは葛藤する部分です。そんなとき,僕は「だって日本語しかしゃべれないし,海外に行って僕が片言の英語でしゃべって,『ばかにするな』なんて怒られたら嫌だからね」と言ってごまかしています。
僕は,今でこそメディアでお仕事をさせてもらっていますが,20代の頃は,さまざまな番組やCMのオーディションでずっと落ち続けていました。皆さん,僕を見ると“歌がうまくて,ダンスが踊れて,陽気なキャラ”,いわゆるステレオタイプなブラックのイメージを期待してくるんです。でも僕の歌は絶妙に下手だし,リズム感はないし,高身長に反して小心者なので初対面の人にはビビっちゃう。結果,落ちちゃうんです。期待されるイメージ通りに生きないといけないのかなと悩み,事務所に「このままでは仕事もこないので,辞めてもいいですか」と言ったこともありました。ただ,日本語をしゃべり続けているうちに,それが逆に面白いと思ってもらえて,メディアに出られるようになりました。そんな経験から,今はもう,日本人でもアメリカ人でもない自分をわかってもらいたくて,「地球人です」と答えるようにしています。そういう納得の仕方をして,自分の生き方が最近やっと見えてきました。
下地:自分は社会学の研究者で,いわゆる「ハーフ」や「ミックス」の人々の研究をしています。そのきっかけとなったのは母です。彼女は1950年生まれで現在74歳ですが,小さいときから「日本語上手ですね」「日本に来て何年ですか?」と言われ続け,自分が日本人だと言うことができなかったといいます。ところが最近,ほかの調査の過程で,バングラデシュにルーツのある小学6年生の子が,私の母と全く同じ経験をしていることが分かり衝撃を受けました。時代を経て,社会の状況は確実に変わっているのに,投げかけられる言葉は変わっていないんです。
2021年の東京オリンピックの際には,大坂なおみ選手,八村塁選手にフォーカスが当たり,「かれらは日本人なのか」,という声も一部で聞かれました。私の母には父親違いの弟(私にとっては叔父)がいて,親族が集まる食事の席で「大坂選手は日本の代表だけど,日本人に見えないよね」とその人が言ったんです。すると母は「そうだね。私も日本人には見えないものね」と答えたんです。叔父ははっと目を見開いて黙ってしまいました。おそらく叔父は「自分は今,姉に対して“日本人に見えない”と言ってしまった」と衝撃を受けたわけです。家族であろうが公共の場であろうが,こうした経験は相変わらず起こっているのが現状です。
社会学でいうと,そういう日常の攻撃はマイクロアグレッション(無意識のうちの偏見や差別に基づく言動)といいます。こうした体験は,笑って流せるときもある一方,メンタルの部分にちょっとずつダメージが蓄積されていくこともあります。母は「もう慣れた」とは言いますが,やはり,そういう体験はないほうがベターだと思います。
唐沢:日本の社会は教育などを通して,「偏見を持ってはいけません」「差別は悪いことです」と教え,自覚を促します。そして「相手の気持ちになってごらん」「つらい思いをしている人のことを理解しよう」などと言います。ただ,社会全体が持っている変な期待や押し付けは潜在的にあり,それが,ある人たちにとってプレッシャーになっていることには,まだ理解が行き渡っていないのだと,皆さんのお話を聞き,改めて認識できました。また,社会学的なアプローチでいう“微妙な形の攻撃”も,実体験ならではのお話から理解できました。
下地さんはNHKドラマ『東京サラダボウル』に監修という形で関わられましたね。さまざまなルーツを持った人が東京を舞台に織りなすドラマでしたが,そのお仕事を通してどんなことを感じましたか。
下地:最近のドラマや映画,ドキュメンタリーといったメディアでは,和気あいあいとしたシーンも差別を受けてしまうシーンも,しっかりと描こうとしているように感じます。日本人は都合の悪いところ,マイナス面は見せないようオブラートに包む傾向があります。でも日本はすでに多様な社会になっているのだから,今後はそんなオブラートは溶かしていったほうがいいと思っています。だから監修に関わるときには,現実の姿に近づけるように気を付けています。たとえば,ドラマで外国ルーツの人に対する差別のシーンが原作にはあり,「これはドラマでは描くのはやめた方がいいでしょうか」と聞かれたので,私は「しっかりドラマでも描いてほしい」と言いました。原作にあるので描くべきだと思ったのと,その場面を描いた後に,キャラクターたちがどういう心情になり,ドラマを見た人がどう考えるのか,みんなでディスカッションし,考えてほしかったからです。私はほかに,藤見よいこさんの漫画『半分姉弟』の解説も書いていますが,そこにもいわゆる「ハーフ」と呼ばれる人々の日常が赤裸々に描かれています。こうした作品を見聞きすることで,社会には様々な人がすでに暮らしている現実を考えてもらえたらいいですね。どちらの作品にも「属性や社会的な立場は違うので,全部を理解するのは難しいと思うが,もし仮に理解できなかったとしても,それで終わりなんじゃなくて,その目の前の人と関わり続けることはできるんだよ」というメッセージがあります。僕も同じ気持ちです。
外国にルーツを持つ人の居場所は日本ではまだ確立されていない
唐沢:では,「居場所としての日本」については,皆さんはどんなことを思っていますか。
副島:最近,日本に住む海外の方はかなり増えていますし,日本はすでに移民社会として進んでいるとは感じます。「日本での人種差別はなくなっていると思いますか?」ともよく聞かれます。僕の肌感覚としては,なくなっているような印象があり,さまざまなルーツを持つ方たちとの座談会でそう語ったところ,「それは副島さんがテレビやメディアに出ていて,副島淳という人間を知ってもらっているからですよ。我々ふつうの人間はまだ暮らしづらい部分もあるし,疎外感を感じることもあります」と言われました。正直,ハッとしました。確かに“副島淳”はちょっとずつ認知されているため,差別を感じなくなっているだけだったのかもしれません。しかも,そのあと,ある病院で「副島淳さん」と呼ばれて僕が立ち上がったとき,近くにいた年配のご夫婦が何かコソコソ話をされているのを目撃したんです。もちろん,その方たちが何を話していたかは分かりません。でも,ちょっと好奇の目で見られたなと感じたんです。そのとき「ああ,やっぱりこういうことは,まだあるんだな」と実感しました。
座談会でほかに印象的だったのは,「“ブラックだったら足が速いんでしょ。リレーのアンカーをやってよ”と言われたけど,自分は全然速く走れないので,それから走ることが嫌いになってしまった」という話です。「ブラック=足が速い」的なステレオタイプの言葉を興味本位的に言われ,それが嫌だと思うことも,いまだに日常であるわけです。そんなときは,外国にルーツを持つ人の居場所は,日本にはまだ確立されてはいないのかなと思います。もちろん解決に向かってゆっくり進んでいるとは思うけど,まだ直接的な解決には至っていないんだなと再認識しますね。
メントライン:私の祖国ドイツは移民・難民が多いことが今,社会問題になっています。仕事のない難民や移民を支えるため,ドイツの納税者が負担している金額が半端じゃなく,そのせいでドイツ人が疲れているんです。国内インフラはボロボロで自分たちの生活も大変なのに,政府は難民にばかりお金を使っている。そんな不満が強くなっている気がします。日本はまだ外国人は3%ですが,やがてドイツが体験している“疲れ”が始まるかもしれません。私の知り合いに「〇〇人が嫌い」などと発言する日本人がいて,外から来る人々の居場所をなくす原因になるのではと,心配です。
日本には,日本人とイミグラント(後から加わった人たち)を包括した社会全体を指すような言葉がありませんね。お互いをつなぐような単語がないことに,私は問題があると思っています。ドイツ語にはMitbürger(ミットビュルガー)という言葉があります。Mitは英語でいうwith,Bürgerは市民という意味なので,「一緒に暮らしている人々」という意味です。ドイツの首相は年頭のあいさつで「BürgerとMitbürgerの皆さん,こんにちは」と言ってくれるので,国籍がドイツ人でなくても,そこに暮らす人々全員が自分ごとと考えられます。日本語にもそういう言葉があるといいなと。そうすれば,ここが自分の居場所だと思えてくるかもしれません。
副島:先日,埼玉県の川口市という,ここ数年で外国籍の住民が急激に増えた市で講演会を行ったのですが,さまざまな問題も起こっているため,最初からかなりアウェーな空気がありました。話したのは「日本人も外国人も,お互いにいいものを持っているのに,それを認め合わず,ぶつかり合うから余計に壁が生まれ,争いが起こっている」ということですが,それに対して「今,我々が置かれている現状を何も分かっていない。あなたの話していることは全部きれいごとだ」と言われ,考えさせられました。
今,正直,“移民は悪だから排除すべき”という動きが生まれつつあります。基本は不法滞在移民を指しているものですが,でも,移民全体への嫌悪感も生まれていて,そうなると,僕も彼らから見たら移民なので,それが広まれば僕の居場所はなくなります。もちろん,全員がそう言っているわけではないけれど,そういうまなざしで僕を見てくる人がいるのも事実です。僕がどんなに「日本人です,日本でこれだけ暮らしています」と言っても,お構いなしにSNSでメッセージを送ってくる人もいます。お願いしたいのは,外国人に関する報道が出たとき,全員をひとくくりにして批判してほしくないということです。もちろん僕だって,ルールを破るような外国人はダメだと思っていますが,社会全体でそういう空気を持ちつつあることが怖いなと思います。
お互いを理解し,誰もが守れるルールをつくることが多文化共生の最初の一歩になる
唐沢:皆さん,さまざまなルーツをお持ちで,居場所として日本におられるからこそ,いろいろ見えてくることがあるのだと感じました。先ほど,言葉を大事にしたいという話がありましたが,さらに日本の社会をポジティブな方向に進めるには,どうしたらいいと思いますか。
メントライン:共に暮らすとき,考えなくてはいけないものがルールです。法律は言語化されていて,法を犯せば刑罰が科せられます。一方,マナーやルールの場合はそこまで厳密ではないものの,日本人にはこだわる人が多いです。よく聞くのが「外国人にはゴミ捨てのマナーを守ってほしい」という声です。とてもよくわかります。守れていない人がたくさんいますから。でも,だからこそ,一緒に暮らす上でどんなルールが必要なのかは,みんなで決めていくことが大事だと思うんです。誰かがルールを破ればストレスは溜まるし,だからといって,それをいちいち指摘するのもつらいので我慢する。そこでまたストレスが溜まってしまう。悪循環です。だったら,そういうルールはまず,外国人も一緒になって,みんなで話し合って決めれば楽になるんじゃないかなと思います。
下地:マライさんのお話をうかがって,今,頭の中がゴミの問題でいっぱいになりました(笑)。でも本当にそうで,日常生活ではどんな人であってもゴミは当然出てくるので,問題視する人は多いのですが,それが「ごみ捨てのルールを守れない外国人は出ていけ」という排外主義的な流れに行くのではなく,どんなひとでもお互いに困っていることを認識することが第一歩ですよね。それは賃金の話にしてもそうで,みんなが我慢ばかりしていると,確かに疲れるし苦しくなります。昨今は少子高齢化もあるし,この社会がどうなっていくのか,暮らしているみんなで考えて答えを出す必要があります。Mitbürgerというのは,いい言葉ですね。そういう日本語をみんなで考えられたらいいですね。大事なのは,「道徳や規範を守ろう」という話じゃなくて「一人ひとりの人権をちゃんと守ろう」ということ。お二人のお話のように,今,確かに排外主義の盛り上がりが懸念されていて,今後,何があるかわからない状況です。そんなときこそコミュニケーションは大事です。みんなで考えを共有し,どういった社会をつくればいいのか,いろいろな立場の人と話し合う機会を,市民レベルから行政レベルに持っていくことは大切でしょう。
副島:こういったシンポジウムは今,全国各地で行われていて,僕も週に3〜4回呼ばれるときもあります。会場に来てくれる人達は,意識も高いし自分なりの考えも持っていらっしゃいます。でも,来てくれる人って,だいたい決まった人なんです。その数をどれだけ増やせるかが,今後の課題かなと思います。多くの人が来られるよう,例えば土・日曜日や休日に開催するなど工夫するといいのでは。ただ,そんなときに,友人に「お前,そんな真面目な会に参加するの?」などと冷やかされると,「じゃあ,やめとくか」となってしまう。そういう空気感が社会にあるのは残念ですね。自分の暮らしを良くするために,こういったシンポジウムや地域の交流会などに参加することは大事です。そのなかで,ひとつお願いしたいのが,たまに「異文化交流」という言い方があるのですが,僕は「異文化」には少し違和感があります。いろいろな文化があり,異なることは当たり前だと捉えたうえで,多くの文化に触れて交流する「多文化交流」という意識がいいなと思います。
一緒に生きていくために間断なき努力をお互いにしていくことが大事
唐沢:では最後に,皆さんのお手元にボードがあるので,そこに一言,さまざまなルーツを持つ皆さんが日本で生きていくうえで大切にしているキーワード,決め台詞を書いていただき,コメントをお願いします。
副島:僕は改めて『地球人』を決め台詞として紹介します。いじめられていたころに悩み,「俺って何人なんだろう」という問いに対して,自分で出した答です。世界にはいろんなルーツを持った方がいて,行こうと思えばどの国にでも行ける時代です。“隣国の人が隣人”と言っても過言ではないぐらい距離が縮まっているのに,日本人,ドイツ人などと分けるのは,もう時代遅れだと思うんです。だから僕は「地球人」という概念を広めていきたいですし,それをみんながナチュラルに言えるようになるのが夢です。まあ,将来,宇宙人が普通に地球に足を運んでくるようになったら,「じゃあ,私たちは地球人だね」と言えるのかもしれませんが(笑),とにかく,地球人は僕の代名詞というか,決め台詞になっています。
下地:僕は『両方考える』と書きました。人は見た目やカテゴリー,所属など,いろんなもので人を判断しますが,それをとっぱらった本質を見ることも大事です。と同時に,日本社会で生きていることやルーツといった所属,カテゴリーといったことも自分を表すものでもあります。そう考えると,どちらか一方ではなく,両方を見ることが必要だろう。そういう目を自分自身大切にしながら,いろいろな人と交流したいと思っています。
メントライン:私は『接点を持つこと,つくること』が大事だと思っています。私は16歳で初めて日本に来たとき,いろいろあって,日本を嫌いになりそうにもなりました。でも,私と接点を持ってくれた人たちが日本の文化を見せたり日本語を教えたりしてくれて,その出会いがあって私は日本が大好きになり,今もここにいます。外国人が日本に来る理由は,それぞれあると思うし,すぐに日本を愛したり,日本の社会の一員であるという意識を持ったりすることはできません。それは徐々に築き上げるものだから。ですから,日本を好きになってもらうためにも,接点をつくることは大事だと思います。そして,もちろん外国人も,自分からどんどん接点を持ってほしい。社会の中でクローズに暮らすことも可能ですが,そういう生活だと結局ストレスが溜まります。お互いに「接点を持つ,つくる」ということを共有しないと,多分前には進まないのではないかなと思います。
唐沢:本日のパネルディスカッションは,「暮らしと生活」というメインタイトルで始まりましたが,どちらも英語にすると「ライフ」です。ライフは命という意味で使うこともあるように,生活や暮らしの話をうかがいながら,やはりそこには命があるといういうことを改めて感じました。もともと日本で生まれた方,ほかで生まれ現在日本で暮らしている方,いろいろですが,お互い,こういう機会を与えられた者同士,命を尊ぶという意味でも,一緒に暮らし,生きることを考えることが重要なのだと思いました。立場はいろいろ違いますが,接点を増やしながら,多くの人が考え,機会を生かしていただけるとありがたいです。本日は貴重な時間をいただき,ありがとうございました。






